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あれから・・・ 10年

みなさまこんにちは!

今日は私、横山のまじめな話をしたいと思います。

長文で申し訳ございませんがお付き合いください。

 

まずちょうど10年前皆様は何をしていましたか?

私は友人の不動産屋と物件を見に出かけるところでした。

駐車場から出てすぐに揺れを感じ、まあすぐ収まるだろうと

思っていたらとんでもない揺れで焦りました。

揺れが収まり友人と磯子の土地を見に行きましたが

途中で交通渋滞が激しくその後私は予定があったので

そこから約6Kmくらいを歩いていきました。

途中、17時過ぎに大岡川を横切ろうとして橋を渡ろうとしたら

警察官に橋の端は歩かず真ん中をと言う注意を受け何気なく

川を見たら今まで経験したことが無い現象をみました。

なんと水が逆流しているのです。しかも水面が道路ギリギリまで

水位が上昇してました。

後からわかった事ですが、あれが津波だったのです。

それから自宅に帰りテレビをみて事の重大さに驚きとショックを受けました。

 

その3年後に福島県郡山市で仕事をすることになり1年半くらい郡山で生活していました。

途中の4か月ほど南相馬市にプチ転勤になりました。

赴任初日に海岸近くの親会社事務所に挨拶に行く途中、廃墟やがれきまみれの住宅、鉄骨むき出しの建物が

残っており、正に今までテレビや新聞、雑誌で見た光景がそこにはありました。

私は悲しくないのに涙が流れ落ち、とても嫌な気持ちになったのを覚えています。

 

また、南相馬に勤務し広野町と言うところの宿舎におりましたので国道6号線が通勤ルートなので

福島第一原発の近くを通ります。

道路の側道は建物があり商店や大型の店舗が多数残っており、どなたも住めないので夜は暗く静かで

この世のものと思えないものと遭遇しそうで怖かったです。

後にその手の話は地元の方から聞かされており私も「あれ?」って思う体験もしました。

 

第一原発の入り口近くに電光掲示板で放射線線量を表示される機械があり

当時はその数字が普段見る数字の桁が違っていました。

正直、恐ろしいなと思って通っておりました。

ちなみに今はかなり落ち着いて第一原発周辺でも放射線量は落ちたとの事です。

 

先日も大きな地震がありましたが当時の仲間や友人に電話をし安否を確かめたら

全員怪我無く無事だったのでホッと胸をなでおろしました。

しかしそのうちの二人が写真を送ってくれたのですが

室内は散乱して本当に怪我がなかったの?という状況でした。

 

今でも福島県の浜通りから宮城、岩手の三陸沿いは完全復興とは

なっていません。

食べ物も風評被害で思うように消費も伸びません。

 

私はただ、働いていただけですが地元の方々は縁も所縁もない

どこの馬の骨かわからないオジサンを快く、暖かく親切にして下さったのは

とても良い思い出で、復興をお手伝いすると言うつもりで赴任したのですが

逆に勇気づけられました。

本当に感謝に耐えません。

いまだに悩み苦しんでいらっしゃる方も大勢います。

故郷に戻れない方もいらっしゃいます。

そんな事を考えたら

恩返しなんて出来ませんが、せめて個人で消費できるものは

東北産を購入しおいしくいただきます

そしてコロナが終息しましたら温泉の宝庫の福島に是非まいりたいと思います。

 

日本人として

人間として

忘れてはいけないことだと思い趣旨とは外れていますがブログに書きました

長文失礼いたしました。

2021年3月11日
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